>>>2件の記事があります。

W杯予想って色んなところで見かけたけど・・・

今度ばかりは脚光を浴びている人はいないようだ。
前回大会の時に話題になった人も見事はずしているし・・・。
予想は直感的なものであって、当たればもうけものといったところが大きい。
予言となると、何か神がかっているようでどこか信じている自分がいる。
色々なことを言い当てている人の予想となると尚更である。
本人は外れたときのことを考えてか、予言という言い方は避けている場合が多いようである。
サッカーのことをまったく知らない人の方が、むしろ邪念がない分
当たるような気がするのだが、引き分けがあるということぐらい知らせておかないと
可哀想ではないのかな。
正直言って、今回のW杯も誰かが言った1勝2敗という予想を信じながらギリシャ戦を観ていた。
コートジボワールに負けたあと、コロンビアにはとても勝てそうにないので
ギリシャには絶対勝つと思っていたのに・・・。
途中11人対10人になったときには、その思いは一層強まった。
結果は残念ながら引き分け。
この時点で、予想のことを口にする人はいなくなり、あとは奇跡を信じるなんてことばかり言っている。
まあ、負けに等しい引き分けだから、百歩譲ってこれを仮に負けと数えるならば
コロンビアには勝つということになるのではないか。
予想をはずした人は、グループリーグ敗退は当てたねって言うだろうね。
まあ、今度からは予想とか予言とかいう言い方はやめて、希望的観測と言った方が良さそうだ。

訃報の中で最近よく目にする言葉

「葬儀は近親者のみで済ませました。」
筆者も死んだときは絶対にそうして欲しいと思う。
仮に病院で死んだとしたら、直葬にして欲しい。
生きている間に散々迷惑をかけているのだから、死んだときぐらいは
できるだけ迷惑をかけたくない。
戒名は要らないし、遺骨も粉々にして海に撒くか土に返して欲しいな。
よくお墓がどうのこうのという話を聞くが、由緒正しき家でもあるまいし
おかしな話ではないのか。
だいたい自分の家系をどれだけ遡れるか考えたら、ナンセンスなことに気付くはずだ。
縄文や弥生時代から代々受け継がれてきているお墓だったら、それはもう
大事にしなければならないと思うだろうが、そのような家系の人が
日本にどれくらいいるのやら。
この際、未来のこともちょっと考えてみたらどうだろう。
人間なんて結局は絶滅する訳だし、地球だって終焉を迎えるときがくるんだから・・・。
まあ、そんなことより日本人がいなくなってしまうって話が前かな。